初鹿明博の不遇な子供時代

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初鹿明博が受けた教員からの傷つく言葉
すべての人に平等な幸せを与えたいと考え政治活動を続けている初鹿明博氏ですが、彼の幼少期は決して順風満帆とは言えないものでした。初鹿明博氏の両親は彼にいろいろ学んでほしいという思いから休日のたびに図書館に連れていってくれるような優しい両親だったようで、彼も小学生低学年の頃はクラスでも非常に優秀な生徒として有名でした。しかし、だんだんといわゆる悪い子と呼ばれるような子供になってしまいます。その原因はその当時の彼の担任の教師にありました。

五十代でいつも竹刀を持ち歩き、悪いことをした児童をすぐに竹刀で叩くという今では考えられないような行為をしていたというこの教師ですが、ある時初鹿明博氏はこの教師から呼び出されてしまいます。そこで言われた言葉に彼は深く傷つくことになります。初鹿氏はいつもテストで100点を取るような優秀な生徒だったのですが、担任の教師はそれを疑問に思ったのです。彼に対してカンニングをしているのではないか、水商売をしている家の子供がこんなに勉強ができるはずがないというとんでもない言いがかりをつけられてしまったのです。

どん底の生活が続く
そんなことがあって初鹿明博氏は次第に大人への不信感が芽生え始めてきました。一生懸命頑張ってテストで100点を取っていたのにそんなことを言われてしまったら誰でもそうなるでしょう。性根と考えの腐った教師のせいで彼は大人を信じられなくなりました。しかも、父親は事業で失敗してそのまま蒸発、母と祖母は夜になると仕事にでかけ、そんな時に限って自宅に借金取りがやってきたりする毎日を送ることになるのでした。幼い彼の心はどんどん荒んでいくことになったのです。

しかし、彼はどうして自分だけがこのような目に遭わないといけないのかと思い始めました。友達はこのような目に遭っていないのに自分だけ酷い目に遭っている、こんな世の中はおかしいと思うようになったのです。初鹿明博氏が世の中を変えたいと真剣に思うようになるのはこの時でした。これが初鹿明博氏が現在でも掲げている「みんな等しくありたい」という考えのベースとなったのです。

自分の経験を基に世の中を変える
初鹿氏がみんな等しくありたいという考えを持ち、それをベースとした政策を続けてきたのには彼の幼少期のツライ思いがあったようです。彼が国民の生活を第一に考えるような政策を次々と打ち出しているのはこうした不遇の子供時代を乗り切ってきたからではないでしょうか。

普通ならそのまま非行に走ってしまってもおかしくはないような状況だったと思いますが、そうではなく世の中を変えたいと思うようになったのが凄いですね。そういう意味ではもともと政治家としての素質に恵まれていたのではないかと筆者は思います。職業や家庭がどうであれ人はみな幸せになる権利がある、等しく幸せでないといけないというのが彼が子供時代に強く思ったことなのでしょう。これからもその想いを胸に政治活動を続け、より多くの国民に平等な幸せを与えてほしいと思います。

東京鹿優会
http://www.hatsushika.net/

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