白石達也の余暇の過ごし方における変遷

白石達也の20代から30代初めにおける余暇の過ごし方は、少林寺拳法とともにあったと言っても過言ではありません。
大学に入学した折に友人とともに入部した少林寺拳法部において、彼はめきめきと実力を身につけていき、大学3年生の時には主将に抜てきされます。大学卒業後も、たまたま就職した職場が大学の近くであったことから、少林寺拳法部のコーチに就任するよう要請されました。彼自身、部活動でやり残したことがあるという想いからその要請を受け、普段は会社勤めをする傍ら、休日などの余暇ができた際には足繁く少林寺拳法部の練習場所へ赴き、後輩たちの指導に汗を流す日々が続いたのでした。
白石達也の指導は、どちらかと言えば感覚よりも理論が先行するきらいがあったのですが、それが多感な時期の大学生の心をとらえます。コーチに就任してから約5年後、彼の指導に心酔する世代がとうとう学生大会で総合優勝を果たし、少林寺拳法部コーチとして彼は大きな達成感を得ることとなったのです。
その後も彼は余暇の多くを少林寺拳法部の指導に費やすも、30歳を過ぎたあたりでぎっくり腰を患い、20代の頃のような熱血指導が難しい状況に陥ります。当初はコーチを続けることを固辞しましたが、彼の業績を高く評価していた部の顧問や監督から慰留され約2年ほどコーチとして指導を継続、その後勇退という形で後進に役職を譲ります。
まさに血気盛んな20代全般において、白石達也の余暇は少林寺拳法部の『仲間』のためにあったと言っても過言ではありませんでした。コーチを退任した後も少林寺拳法部で培われた人間関係は継続し、彼の社会的基盤の一部として、その後の人生に大きなウェイトを占めることになるのです。

白石達也は30代半ばで結婚し、そこから数年後に男の子2人と女の子1人という子宝にも恵まれます。以降は妻と子供たちが、彼の生活の中心になっていきます。
長男が生まれた折は妻の産後の肥立ちが良くなかったため、子供の世話の多くを彼が担うのはごく自然の流れでした。彼が仕事の時こそは妻が長男の面倒を見ていたのですが、理解ある職場の上司にも恵まれて可能な限り育休を取得することができ、とにかく全ての余暇を長男の育児に充てるのが彼の日常になっていったのです。
その後、回復した妻との間にさらに1男1女をもうけるに至りますが、長男の育児で培われた彼の子育てスキルの成長は留まる所を知らず、周囲の人間もうらやむほどのイクメンぶりを発揮します。普段は極力定時に帰宅して子供の食事と入浴を主体的にこなす一方、休日になれば必ず子供とともに過ごし、遊園地や動物園など、周囲で行ったことがないレジャー施設は無いというほど、妻や子供たちにとっては「最良のパパ」であり続けたのでした。
結局、時間の全てを家族のためにささげた白石達也の生活は、子供たちが大学に入学して一人暮らしを始めるまで継続します。さすがに子供たちが思春期の時期には、時には過剰ともとれる彼のイクメンっぷりが敬遠されることもありました。しかし一方では、深い愛情を持って接してくれたことに対して、子供たちは常に感謝の気持ちを持ち続けていたのです。
30代から50代にかけての白石達也の時間は、全て『家族』のためのものでした。もちろんそのために仕事をしていましたし、家族奉仕の精神によって得られた絆により福岡家の結束は大きく高まり、誰もがうらやむ円満な家族関係を構築することができたのです。

白石達也が職場を退職した時には子供たちも全員独立しており、妻とともにゆっくりと過ごすことができるようになります。
しかし、彼はここで大変躊躇してしまいます。なぜなら、彼は今までの人生で余暇を自分のために使った経験があまりにも少なく、どのようにして過ごせば良いのかわからなかったからです。子供たちも彼が退職した直後は結婚もしていなかったため、孫の世話と称して再び育児に精を出すこともできず、しばらくは悶々とした日々をただ漫然と送ることだけしかできませんでした。
そうした折、妻から勧められた地域の教育センター主宰の古文書セミナーに参加したことで、大学生時代に日本史のゼミに参加した当時の記憶が呼び起こされ、すっかりと古文書の読解にはまってしまいます。当初はセミナーに参加するだけでしたが、次第に学生時代のつてで大学で開催されている学会や研究会にも参加させてもらえるようにもなり、古文書の読解は趣味の域を越えて「研究」の領域にまで足を踏み入れていきます。
また、地元大学が主催する数々の古文書調査にも同行したことで大学生とも交流する機会が増え、見た目もどんどんと若返っていきました。誰に白石達也のことを尋ねてもその年齢が70歳に迫るとはわからないほどで、その変貌ぶりは彼の子供たちですら驚嘆するほどでした。
退職後の白石達也の時間の多くは、まさに古文書知識の収集に費やされました。他方、健康面にも大きく寄与したため、彼の老後において余暇はまさに『自分』のためにあったと言っても過言ではなかったのです。

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